2020年4月22日水曜日

ポケモンらしさ-3_デザイン史〜初代開発史編

ポケモンの歴史を把握する


これまで「ポケモンらしさ」に関するアンケートを実施、その回答や寄せられた意見を分析してきた。

古参寄りか新参寄りか、現役プレイヤーか否か、プレイした本編タイトル経験数は、回答結果や意見記述に用いる単語の傾向に影響を与えていた。
またウワサされている「らしさの変化」の実態を検証し、関連意見に認知の歪みが存在していることも確認した。

20年以上続いた作品、900種以上数の増えたデザインに対し、生じた疑念に対して正確な情報を探すことも難しい。今回は、誤解が多い点をピックアップしながら「公式の情報源」をまとめていく。

その上で、アンケート回答者が感じた変化が、それぞれどこからなのか確かめてみよう。


--ポケモンのデザインを作っている会社
--ポケモンの著作権表記
−デザインの歴史
--プロトタイプ・カプセルモンスター
--モンスターボール
--はじめは ウルトラ怪獣
--製品版に残る開発過程の痕跡
--タイプ・伝説・進化系・御三家などの概念
--直接ドット絵を描いてデザインしていた
--公式アートによるキャラクターの解像度の向上



最近のポケモンはデザインが複雑になったのか?
professor ok氏の画像分析から見たポケモンデザイン変遷のレポートも公開されているので是非チェックしてほしい。(英語でTweetする日本人です)

こちらでは「成り立ち」からの調査をすすめる。


ポケモンのデザインを作っている会社


これはアンケート知識調査「どの会社で新しいポケモンデザインが生まれる?」の結果。



選択肢の中では、ゲーム本編を制作している「ゲームフリーク」が正解である。
あらかじめ「回答前に調べても良い」とことわった上で、確認作業の有無も回答して頂いた。しかし、回答前に調べたとしても、正答率がほぼ上がらない。そして「元々知っている」と自任しながら正解でない回答者も2割ほど存在する。

ググって(検索して)みると、なるほど、正解が一発で出てこない。
Googleの場合、デザイナーとして提示している人物候補の中で該当者が1人(杉森氏)しかいない。(デザインしたポケモンがいるという意味では森本氏も)

検索ヒットしているページも「株式会社ポケモン」しかひっかからない。
トップに表示されているピカチュウ誕生秘話も、しばらく読み進めなければデザインが生まれた会社がゲームフリークである確証にいたれない。

前回の検証に引き続き「リテラシー」の話なのだが、別に災害や病気など命に関わる話でもないので 趣味に対して真剣に調べる気がおきないという人も多いだろう。誰がポケモンを考えているかなんて情報は、既にマニアックな領域なのだ。

しかしデザインの話に "いっちょかみ"しようというのであれば、話は別だ。
複雑に絡んだ認識し辛さを紐解きながら、「ポケモンらしさ」を表す、より適切な「言葉」を探そう。


ポケモンの著作権表記


この記事は企業とは無関係な個人によるもので、今回は正確なニュアンスを伝える目的のために多数の画像引用をしている。権利者からの指摘があれば削除・修正に応じる…と今更前置きをして、著作権の話。

ポケモンの作品・商品に記載される著作権表示も複雑だ。
©2020 Pokémon. ©1995-2020 Nintendo/Creatures Inc. /GAME FREAK inc.ポケットモンスター・ポケモン・Pokémonは任天堂・クリーチャーズ・ゲームフリークの登録商標です。

2020 Pokémon.と公開年のみ書かれているのは「株式会社ポケモン」のことである。記事内で他の会社名は省いているが、「株式会社」を付けないと会社のことを指していると分かりづらいので、「株式会社ポケモン」にはつけている。

1995-2020と始まってから今までずっと権利を有すると示されているのは3社もある。
Nintendo(任天堂
Creatures Inc. (クリーチャーズ
GAME FREAK inc.(ゲームフリーク
この3社はポケモン誕生からずっと変わっていない。増えても減ってもいない。
ソード・シールド公式サイトより 発売・販売・制作の表記に注目

最も有名なのは任天堂だろう。
ポケモンを遊ぶことができる歴代のゲーム機、GAMEBOYADVANCEDS3DS Nintendo Switch、さらにPokemon GO Plusなど「直接触るゲーム装置=ハードウェア」を開発をしているだけでなく、ポケモンなどのゲーム・ソフトウェアの「販売を行っている。「発売」との違いは、自動販売機を自動発売機と呼ばないのを考えればわかりやすい。[川口孝司さん(任天堂)インタビュー(2000年)]


クリーチャーズポケモンカード開発デジタルゲーム開発(ポケモンの派生含む)、3DCG制作(ポケモンシリーズの3Dデータ含む)を現在担っている。
現社長は作曲家でもある田中宏和氏[Twitter](元任天堂。ポケモンのアニメ主題歌を「めざせポケモンマスター」含め数多く手掛けてきた)。田中宏和の同姓同名運動の中でも一番有名な田中宏和さんと呼ばれる。


クリーチャーズを設立したのは、株式会社ポケモンの石原恒和社長[ソースとなる対談記事]で、ポケモンのヒット後にライセンス管理業務に専念する別会社として株式会社ポケモンを作った(正確には株式会社ポケモンセンターから商号変更)。プロデュースする立場として石原氏の存在は誕生から変わっていない。ゲームソフトの「発売は株式会社ポケモン名義だ。また世に売られている正式なグッズや商品の監修はここが担っている。


そして最後に名前を連ねるゲームフリークこそ、本編ゲームの直接の制作会社である。
そこでの仕事に焦点をあて「ポケモンらしさ」の変遷を詳しく見ていく。

本篇ゲームのタイトルデモにゲームフリークのロゴが登場する。

ポケモンデザインの歴史



最新作 ソード・シールドと初代 赤・緑のゲーム画面の比較。面積は最低40倍になった。
その変化はある日を境に急変したものではなく、徐々に重ねられていった。

順に見ていき、「最近のポケモン」という雑なカテゴライズから脱しよう。


初代ポケモン成立以前


ゲームフリークは元々田尻 智氏が立ち上げたゲーム攻略ミニコミ誌・同人サークルの名前だ。ファミコン向けゲームソフトクインティを 当時異例なインディーズとして開発し、その後、同名の会社を立ち上げた。

2019年に30周年を迎えている。
YouTubeチャンネルを開設し、メンバーが30年を振り返る動画も配信していた。
年表として一覧するには こちらの特集記事が詳しい
[『ポケットモンスター』を作った会社の歴史を作品年表と豆知識で総まとめ ファミ通.com]


田尻 智氏 杉森 建氏 増田 順一氏 (似なくてすいません)
クインティの制作に グラフィックの杉森 建氏、サウンドの増田 順一氏が参加している。
現在のポケットモンスターのTVアニメでも「原案」としてクレジットされている重要人物3名である。ディレクター田尻 智氏はサトシの名前の由来としても有名だろう。

サトシは「ポケモン赤・ピカチュウ」の主人公の名前候補として提示される。アニメでライバルの「シゲル」は「緑」の主人公名前候補に出る任天堂の宮本茂氏から。「青」の「ツネカズ」は当時クリーチャーズ→現株式会社ポケモン社長の石原恒和氏から。


プロトタイプ:カプセルモンスター

週間ファミ通2019年5月9日より
上にリンクを張ったファミ通特集の年表でも書かれているが、クインティの次の企画が、ポケモンの前身となる「カプセルモンスター(1990)」だったようである。

カプセルモンスターの企画書が作られた具体的なきっかけは、1989年発売に任天堂から携帯型ゲーム機GAMEBOYが発売されたこと。搭載された「通信機能」をより活かすゲームソフトとして売り込むプレゼンのためであった。
田尻 正直に言ってしまえば、『ウルトラセブン』に登場した「カプセル怪獣」からの影響は大きいです。作品的には『赤影』が好きでしたけどね。/攻略本 ポケットモンスター図鑑(1996)
ネーミングは特撮作品・ウルトラセブン(1967)に登場する「カプセル怪獣」に由来する。

一部視聴者に誤解を与えているようだが、初期のアニメシリーズにクレジットされている円谷プロダクションは、こういったウルトラセブンのオマージュに関連したものではなく、円谷にあるアニメーション制作部が、動画工程などアニメーション制作協力としてクレジットされているようである。エンディングに初めて名前が載るのは第23話「ポケモンタワーでゲットだぜ!」、 以降不定期・記載無記載と内容に関連はない。

石原氏:まず言えるのは、『ポケモン』だって、いろいろな背景を背負って生まれたものだということです。たとえば『ドラゴンクエスト』や『MOTHER』、あるいは(『ウルトラセブン』の)カプセル怪獣の影響もある。/「あの瞬間」何が起きていたのか? キーマンたちが初めて語るポケモン GOリリース直後の熱狂、その舞台裏ポケモン石原恒和×ナイアンティック川島優志×ゲームフリーク増田順一】(2018)

ドラゴンクエストからの影響として、『ドラゴンクエストⅡ(1987)』のレアアイテム「ふしぎなぼうし」を田尻氏が入手できなかったのに杉森氏が2つ手に入れ悔しかったという経験から交換という発想が生まれたと言われている。/書籍「遊びの世界基準を塗り替えるクリエイティブ集団ゲームフリーク」(2000) 小学館学習まんがSPECIAL ポケモンをつくった男 田尻 智(2018)など

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁(1992)』のモンスターが仲間になる魔物使いのシステムはカプセルモンスターの企画より後の発売のため、アイディアの着眼とは無関係と考えられる。全てのモンスターが仲間にできる『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド(1998)』もポケットモンスターの後の発売だ。


『MOTHER(1989)』は、そのディレクター糸井重里氏のもとで田尻氏がライターとして仕事をしていたという経緯から関係が深い。また石原氏も当時『MOTHER2 ギーグの逆襲(1994)』開発のエイプ副社長をしており、ポケモン赤緑と両作品が同時並行で作り進められていたこともあり関係が濃い。【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編

ただしデザインへの影響としてMOTHERのギーグがミュウツーに似ているという噂は、デザインをした杉森建氏本人によって否定されている。[該当Tweet]


RPGジャンルとして『ドラクエ』のファンタジー、『MOTHER』のアメリカ映画感といった借り物の世界観に異を唱え、カウンターカルチャーとしてプレイヤー自身が主人公であるゲームを作ろう、という狙いが田尻氏にはあったようだ。
カントー地方1周ごっこをするためにJRで電車移動できるルートを考察したもの
関東地方という日本実在の舞台ではあるものの、所謂伝統的な日本らしさではなく、田尻氏自身の認識の原点・少年時代からのリアリティを作品に込めた結果、その冒険が「どの国でも置き換え可能なもの」として海外でも受け入れられたのではないかと本人によって語られている。/書籍「田尻 智 ポケモンを創った男(2009)」118ページあたり

カプセルモンスターの名称は国内で商標が既に存在していたため「ポケットモンスター」へ変わったと書籍(「遊びの世界基準を塗り替えるクリエイティブ集団ゲームフリーク」など)で説明されている。
企画名の詳細な切り替え時期は不明だが、この記事内では、"製品版と異なる名称・デザイン・仕様"な開発途中のデザインを指してカプセルモンスターと呼ぶ。(今現在存在するポケモンではないので区別のため)


20/04/24 思い出したので追記  カプセル収納のアイディアが、ハードの性能の限界に対するブレイクスルーの発想だとわかる。

杉森氏: ゲームの仕様でいえば,例えば「モンスターをボールに入れて持ち歩く」という設定がなぜ出来たかというと,自分のキャラクターの後ろに“モンスターをぞろぞろ歩かせる表現”が,ゲームボーイというハードウェアでは性能的に難しかったからなんですね。でも,何の理屈もなしに後ろに誰もいなかったら,それは変だろうってことで,じゃあ「ポケットに入ってるってことにしよう!」みたいな設定が生まれたわけです。ゲームの仕組みと世界観が密接に結びついてるのが,ウチのやり方といいますか。ゲーム制作集団「ゲームフリーク」が試みる“原点回帰”という挑戦――初の自社パブリッシングに踏み切った背景を,ゲームフリークの杉森 建氏と渡辺哲也氏に聞いた


モンスターボールのデザイン

カプセル怪獣

『ウルトラセブン』では変身前の主人公モロボシダンが使役者としてカプセル怪獣に対し、「行けっウィンダム!」「もういい!もどれ!」などと命じる。これらはポケモン本編でも踏襲され、ポケモンを繰り出す際にテキストが表示される。


カプセル怪獣が収納されているカプセル(画像左)は、医療用注射剤に使われるアンプルのような形状である。後年ウルトラマンレオ(1974)に怪獣ボール(画像右)というアイテムが登場するがそちらはフットボール型である。ポケモンから逆輸入のような形で宇宙人たちが怪獣を使役してバトルしていく『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル(2007)』はカードによる召喚であった。


右図は開発初期ではなく、タイトルがポケットモンスターとなり仕様が固まりだしている時期の資料
意図的な引用はなくとも、カプセルモンスター企画時点で連載中であったドラゴンボール(1984–1995)のホイポイカプセルからの影響も見逃せない。テンポよく手順を見せ、物体を出現させる装置として説得力のある漫画演出は、特撮のカプセル怪獣にはない新たな要素だ。作者の鳥山明氏の作品もウルトラマンシリーズの影響が濃い。

ゲーム中で取得できるアイテムがモンスターボールのグラフィックで表現されていることも、ホイポイカプセルのような道具の収納を彷彿させる(劇中で全く説明がなく唯一セキチクシティでアイテムボールという単語が聞ける)。



モンスターボールの形状自体は、ガチャガチャと呼ばれるカプセルトイからイメージされたものだろう。友達とのカプセルトイの景品交換というイメージも、カプセルモンスターの企画内容にマッチしていたのではないだろうか。

ボタンはカプセルモンスター企画時は異なる位置にあったが、完成時(上図公式アート上側)には現在のイメージ(公式アート下側)とほぼ同じになっている。モンスターボールの詳細はアニメ化の際に詰めて考えられ(下図左)、見た目などは本篇ゲームにも反映されている。

左 アニメスタッフによる設定 中央 劇場版への杉森氏によるデザイン提供
カプセルモンスター時点のボールのイメージは旧型モンスターボールとして再利用されているようである。「劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇」でユキナリが使用する古い時代のレトロ・モンスターボール(上図中央)、アニメ第234話『きりのなかのキュウコン!』に登場する古代のボール(上図右)もそれを彷彿させる。無関係だが、Let’sGO!ピカチュウ/イーブイ専用コントローラー モンスターボールPlusにも実は上面にボタンが存在する。
石原
デザインに関しては、アニメにちょうどいい設定資料があったんです。もともとモンスターボールがどんな形状なのかゲームでは細かな設定がなかったものですから湯山監督(※25)が提案してくださったんです 
「モンスターボールは最初は小さくて真ん中のボタンをピッと押したら、まん丸に大きくふくらんで、それを投げるというのはどうでしょう」と。
 ※25湯山監督=アニメーション監督の湯山邦彦氏。テレビアニメや劇場版「ポケットモンスター」の総監督をつとめる。 
岩田
それで、今回の「ポケウォーカー」は大きくなる前のモンスターボールとちょうど同じくらいのサイズ(直径48mm 厚さ13.9mm)になったんですね。 /社長が訊く ハートゴールド・ソウルシルバー

モンスターボールに限らず、初代のポケモンはアニメ化の際に詳細なデザインが固まるという傾向が強い。

アニメ制作では、いろんなアングルや動き、人間キャラが触れた時のリアクションに必要な質感や重さのイメージまで決め、大人数に対してイメージがブレないよう設定を共有する必要が生じるからだ。

逆に、ゲーム制作者たちは自由な発想が許される環境で、捕まえて集めて交換したくなるキャラクター群を目指して、どのように無からポケモンを生み出していったのだろうか。


はじめは ウルトラ怪獣


企画当初、確かにウルトラ怪獣を参考にしたと語られている。

ーポケモンのデザインはどの辺から発想なされたのですか。
杉森:わりと好き勝手に作らせてせてもらいました。最初は、ウルトラマンの怪獣図鑑(注5)を参考にしていました。だから、始めはウルトラマンの怪獣みたいな種類のポケモンが多かったんです。そこから、カッコイイポケモン、人型のポケモン、ちっちゃいピグモンのようなヤツを作っていきました。
※『最初は』というのは赤緑開発において、である。
ーポケモンの生態とか、バックグラウンドはどなたが作ったんですか。 
杉森:田尻です。ポケモン図鑑のテキストはすべて田尻が書いたんです。彼は怪獣図鑑とかショッカーの怪人が好きで、その影響が出てます。
(注5)ポケモンのテキストともなった怪獣手帳は美研より70年に発売された怪獣の図鑑。 (中略) 田尻氏はポケモンのアイデアを練るために、古本屋でこの本と、怪獣の鳴き声が入ったソノシートを探して歩いたそうだ。/絶対ゲームボーイ読本 ポケモンの生みの親座談会(1998)
こちらが実際に入手して確認した美研のウルトラ怪獣手帳のひとつだ。

ナパーム弾をうちこまれても平気、インド象でも三秒で死んでしまう などの元ネタが確認できる。
パルシェン 2まいがいポケモン たかさ 1.5m おもさ 132.5kg カラが ひじょうに かたくナパームだんでも こわせない。こうげきするときだけ ひらく。/ゲーム本篇 ポケットモンスター赤・緑 
ゴース ガスじょうポケモン たかさ1.3m おもさ 0.1kg うすい ガスじょうの せいめいたい。ガスに つつまれるとインドぞうも 2びょうで たおれる。/ゲーム本篇 ポケットモンスター赤・緑
初代の図鑑の説明文テキストや分類・高さ重さの表記など、"ウルトラ怪獣図鑑"な方向性は田尻氏の影響が強いようだ。(何よりもゲーム"フリーク"であるが、ミリタリー含め何事にも造詣が深く、いわゆるオタク気質であると伺える。)
杉森 僕は怪獣よりも主人公、つまり『ウルトラマン』そのものが好きでしたね。自分で考えたヒーローの絵を描くような子供でした。/ポケットモンスター図鑑(1996)
『杉森建の仕事』(2014)で語られている嗜好は、原体験としての宇宙戦艦ヤマト・機動戦士ガンダム・ロボコップ、セガ、そしてなによりゲームとのこと。恐らくご本人の趣向以上に 初代の怪獣系ポケモン=杉森氏の好みであると一部に認知されている可能性がある。

具体的に、初代ではどの程度ウルトラ怪獣の影響があるだろうか。

実際に初代の151種全てのモチーフをデザイン・ネーミング両面から考察してみた結果、逆にデザインだけを指してウルトラ怪獣みが強いと言い切れるものは かなり限られていることがわかった。以下図鑑順に推測したモチーフだけを並べたもの。

※カメバズーカはライダー怪人 ヘドラはウルトラでない東宝怪獣 ゴルドンは恐らく妥当でないので除外
ウルトラマンシリーズに代表される昭和特撮のエッセンスはいくつかに汲み取れるものの、かなり分解再構築されたものが多く、特定のモチーフを断定することが難しい。

実際には杉森氏個人のオリジナリティが強く、直接的なデザインのオマージュと断定できるものは2,3例で、やはりテキストなど作品を内包する雰囲気そのものが怪獣文化を感じさせるのではないだろうか。

異論はたくさん出てくると思う。Twitterモーメントたかさ考察にて個別考察が読めるので、これらの結論に妥当性があるかは検討して頂きたい。リプライに情報提供や補足が付いているものもある。
全部調べた


製品版に残る開発過程の痕跡


ゲーム内の図鑑番号は基本シナリオ展開に合わせた登場順になっているが、初代ではゲームソフトに収録されたグラフィックデータの順番がそれと異なることが、以前からコアなファンの間では知られていた。内部番号と通称される。(改造解析などを行わずとも3DSのバーチャルコンソール版でも再現可能なバグ技で存在を確認できる)

開発中、デザインされた時系列の順に並んでいるのではないかと推測されていたが、近年マンガ『ポケモンをつくった男 田尻 智(2018)』やファミ通の特集の「カプセルモンスター企画書」での初期デザイン掲載によって大方裏付けられた。

例えるならば、発掘される化石が古い時代のものほど深くなる「地層のようだ。

公開された初期デザイン31体と 製品版のドット絵 旧公式アートと アニメ化後に全て描き直されたピカチュウ版(以下ピカ版)のドット絵 そして想定される元ネタを比較した。順番は左から開発中デザインの横にメモされていた数字順。

カプセルモンスターから赤緑製品版ドット絵への変化で開発中の紆余曲折、
赤緑からピカチュウバージョンへの変化でアニメ化による影響が見て取れるだろう。

内部番号によると、進化途中のフシギソウがこの並びに入るが、類似するドット絵はフシギバナの方が近いためそちらを並べた。グラフィック修正と共に進化前を後発でデザインした際に名称の調整があったと思われる。下のシェルダーも同様だ。

ミュウは森本茂樹氏のデザインと言われ、完成直前にこの隙間に追加されたと思われる。
「怪獣」を参考にデザインされたであろうサイドン・ガルーラ・ニドキング・ニドクイン・サイホーンは、旧公式アートやピカ版と比べて頭身が低く、絵柄の違いが目立つ。

赤緑製品版の「サイドン」には"つの"に"ドリル"が付け足された修正が確認される。他に全て描き直されたもの、ほぼ変わらないものなどがあるように、全デザインが一気にできあがったのではなく、活かせるものは活かしながら改良を「積み重ねていっている」様子がわかる。

並びから推測する「ウルトラ怪獣文脈」
カイロス:「アリジゴクの習性をもつのに見た目がクワガタなウルトラ怪獣アントラー」を逆転させた「くわがたポケモンだが見た目がアリジゴク」というデザインコンセプトが腑に落ちる。
ウイング:製品版ウインディより足が蹄で角をもつ実在する「伝承上の麒麟」に近い。「翼が付け加えられた麒麟モチーフの怪獣ドドンゴ」からウイングと名付けたと推測。


1992年に、社内で第1回人気投票が行われ約80体のうちナッシー・ヤドラン・ピッピがトップ3になったとされる。上位30位ほどが明かされたこれらのデザインだろう。その数は、当初はGAMEBOYのソフトの標準の容量(1MB)の問題でそれがゲームに入れられる限界だったからだと言われている。これは石原氏や任天堂の宮本茂氏らプロデューサー陣の交渉によって製造するソフトのROM容量が確保(4MB)され、後に151体に増えることになる。


カプセルモンスター企画書より
この時期はパルシェンの見た目にシェルダーと名付けられていたり、開発資料の時期によっては、ヤドン・ヤドランの名前がブレている。
進化系が後に追加され調整されたものが多く、最初期には「ポケモンの進化」システムがまだ確立されていなかったと推測される。

ゲームフリークは他の作品を並行して制作していたため、ポケモンの開発に進行上数年のブランクがあったという。内部番号順に並ぶポケモンの内容もこのあたりから変わってくる。

タイプ・伝説・進化系・御三家などの概念

ー開発中に私(※元ゲームフリーク出版部のライター)がポケモン人気投票に参加したときと製品版とでは若干メンツが違うような気がするのですが 
杉森 あれから何度かコンテストやったんですよ。人気がなくて候補から落とされたものもあれば、あとから新しく入れたものもある。 
森本 僕は途中で開発に参加した人間だけど、いくつか考えたよ。ニョロモやマンキーとか。 
ーあのころは何を基準にデザインしてるからがわからなかったけれど、プレイしたら属性別にまとめられていてびっくりしました。 
杉森 そうでしょ?「水は火に強い」みたいなじゃんけんに近いルールができて属性がきまってから描きやすくなった。小さい子にも属性が想像できるよう現実の生き物をもとにデザインしているし。/書籍「ゲーム会議Vol.9」(1997)

内部番号順に続くデザインを見ていくと モンスター・怪獣モチーフから、人型・動物・昆虫モチーフにシフトしている。杉森氏メインだったデザインに森本茂樹氏、藤原基史氏が加わったのもこのあたりと考えられる。森本氏は本来はプログラマーで、151匹目の幻のポケモンミュウを仕込んだ人物としてよく知られている。

他にも知られているが、ミュウ マンキー ディグダ カイリュー ニョロモは森本氏発案のソースが引用できた。
藤原氏について具体的な担当はほとんど明かされていないが 書籍「EVs」では、いい味が出る素朴なもの、現実と地続きになっているキャラクターを上手に描かれると評され、書籍「遊びの世界基準を塗り替えるクリエイティブ集団 ゲームフリーク」(2000)では 担当に動物や昆虫的なものが多くふくまれていると記されている。

また同書には、収集ゲームとして面白くするために「コレクター」の心理を研究し、デザインのバリエーションに反映させたとという。また、動植物など自然界にある種の多様性に加え、職業など文化の面にある機能の多様性もヒントにし、それが「バリヤード」などの人型デザインであると解説されている。

プレイヤーが揃えたくなる仕掛けとして希少な「伝説」のポケモンとしてファイヤー フリーザー サンダーが加えられた。
タイプの概念もこのあたりから加えられたという。
杉森 後半は、田尻から属性よりの具体的な発注がありました。電気攻撃が得意なエレブーとか。/書籍「絶対ゲームボーイ読本 ポケモンの生みの親座談会」(1998)

初代赤・緑のデザイナーは4人と明かされており、にしだあつこさんが最後に参加されている。ピカチュウのデザイナーとして有名で、開発史の中でも「かわいい」の幅を大きく広げたターニングポイントだ。
杉森 当時デザイナーは3人しかおらず、ポケモンのデザインは僕がメーンで手掛けていました。しかし、僕は男ですから、男子の心でデザインしていて「ミュウツー」や「ギャラドス」「カビゴン」「ラプラス」など、いかついポケモンのデザインしか思い浮かばず、「可愛いモンスター」にまで考えが及びませんでした。そこで、女性(デザイナー)のにしださんに加わってもらうことになり、ピカチュウのデザインもお願いすることにしました。/ピカチュウは大福?初めて明かされる誕生秘話
シェルダー・フシギソウは内部番号が異なるが、発案順としてパルシェン・フシギバナと入れ替えてある。背景が黄色ものが現在ソースの明示できる にしださんデザイン。緑は藤原氏、赤は杉森氏。
後半は進化セット、既存の進化前後を意識したデザインが増えている。
ちなみに、企画を練りはじめた当初は、これを"進化" とは呼んでいなかった。ポケモンが姿を変えていくというアイデアは、もともと"出世魚"からヒントを得て発想されていたので、"出世"と呼ばれていたのだ。ワカシがイナダになり、ワラサになり、やがてブリになっていくように(後略)/書籍「遊びの世界基準を塗り替えるクリエイティブ集団 ゲームフリーク」(2000)」122ページ
イーブイは、にしださんデザインと噂されていた時代があったが、Twitter上で にしださん本人に藤原氏によるデザインだと明かされた。その後展示イベント「EVs+cafe」開催と共にデザイン経緯に関するインタビューが掲載された書籍「EVs」が発売。

イーブイはタイプの異なる分岐進化をする前提のキャラクターを田尻氏から発注されたといい、進化=Evolutionの頭2文字からEVと名付けられたそうだ。

またプレイヤーが最初に選ぶことになる3匹、通称「御三家」フシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメもにしださんがデザインし、かなり終盤に追加されていることがわかる。
ところで、最初に主人公が選ぶ3匹は、どなたがデザインされたのでしょう? 
杉森:フシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメは、全部にしださんですね。 
にしだ:私は各ポケモンの最終形態から逆算してフシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメのデザインを作っていったんです。/ピカチュウ誕生秘話

製品版のフシギバナは花の下の謎の生き物(根?)が、カエルに近い形に変わっており、絵柄は にしださんがデザインしたフシギダネと近い。後年のフシギバナのグラフィックと比較して、下のカエル部分のサイズ比率も異なる。第1世代で使用されたフシギバナの後ろ姿のグラフィックも、次世代の後ろ姿と比べて解釈が大きく異る。

にしださん参加以前のフシギバナ原型を、ドット絵の構図を引き継ぐ形で、進化前と統一した絵柄でにしださんが描き直したのではないだろうか。内部的に、新しいフシギソウの画像データは、古いフシギソウ(フシギバナ原型)の位置に収まったというわけだ。
あくまでこれは憶測にすぎない。
杉森:ピカチュウに限らず、ポケモンのデザインにおいては、1匹のキャラクターを生み出すのに複数の人間がアイデアを付け加えたり、デザインを修正したりと、複雑な工程を経ていることが多いのです。そのため、「このポケモンは誰がデザインしました」という風に、簡単に言ってしまうことを避けてきました。お伝えするならば、細部まで経緯を語れるところでお伝えしたかったんです。/ピカチュウ誕生秘話
デザイン担当・生みの親という表現も、発案から最終的なグラフィック仕上げのどこまで担当したかは正確なニュアンスまでわからない。ディレクターの田尻氏の発案・発注に応えたものも多いだろう。

絶対ゲームボーイ読本内インタビューでは、ボツ案含め、一時期190くらい案があったと言及がある。
過去ゲームフリーク公式サイトに掲載されていた没デザインなどの情報も考慮したいところだが、現在正確な情報として証明し引用不可能なものは触れていない。


直接ドット絵を描いてデザインしていた


杉森>> 画面が狭くて情報量が少ないぶん、極力ムダなものを排除していかなくてはならない。キャラクターの絵にしても、色を使ったり細かく描きこんだりできないので、そのぶんシンボリックでわかりやすいデザインを心がけました。その結果、幅広い人たちに受け入れられたんじゃないかと思います。/NOM2000年7月開発者インタビュー
ドット絵のキャラを画像サイズ縦横56px以下の中で認識できるグラフィックを考えようとすると、どうしてもデフォルメされた形になる。出発点からして既にシンボリック、マスコット的なのだ。

ゲームボーイの表示は 白  薄  濃  黒 の4色で、配色による表現が使えず「形」による差別化をせざるを得ない。これは第二世代「金・銀」まで続いていたようだ。

にしだ 『金・銀』の当時もモノクロのドットを意識して作っていたと思うので、白と黒で見せた時のことしか考えていなかったですね。 
杉森 まだ『金・銀』の頃は色のついたデザインで作ってないですよね。 
杉森 スーパーゲームボーイに対応したときに、全ポケモンに一色ずつ色をつけたんですね。それは基本的にそのポケモンのタイプの対応色を付けたんですが、イーブイは「特徴のないことが特徴」なので、一番ナチュラルな色をつけたんです。/書籍『EVs』特別鼎談
スーパーゲームボーイ(1994)はTV画面につないだスーパーファミコンでゲームボーイのソフトを遊ぶことができるようになる機器。赤緑の開発中これに対応すべく、グラフィックに最大32種類のカラーパターンをあらかじめ決めることになったのが、初代ポケモンの配色を決める最初のきっかけだ。

公式アートによるキャラクターの解像度の向上


次に配色をより詳細に意識することになったのはゲームのパッケージ、付属の説明書、そして攻略本に載せる公式アートを描く必要が生じてからだ。

ー最初に公式イラストが必要になったのって、 何のためだったんでしょう? 
杉森 『ポケモン赤・緑』の最初の攻略本で、アスペクトから出た『ポケットモンスター図鑑』に全ポケモンのイラストを掲載したいと 言われて描いたのが最初ですね。でも、その段階ではポケモンの原画ってドット絵しか存在しなか ったので、そのドット絵から全部自分の絵として描き起こしていったんです。ちょっと気にくわないところは修正したりして(笑)それで全部自分のキャラクターらしくしたのが、以後、僕がすべてのポケモンのテイストを統一させるようになったきっかけですね。/『杉森建の仕事』(2014)

デザイナーや新旧の絵柄の違いを、改めて杉森氏の手で整えたのが旧公式アートとなる。乱暴なまとめだが、ドット絵からは以下のような変化を伴ったと見ればわかりやすい。

杉森氏自身に直近で描かれたドット絵ほど、旧公式アートと細部が一致するのではないかと推測される。自身の初期の絵柄もデザインメンバーらの絵柄も当時最新式の「杉もライズ」されることにより、一定の「ポケモンらしさ」を作り上げた。
先にまとめたドット絵→旧公式アートの一覧も共通点や違いの確認に参照してほしい。


赤緑の6年間・4人を中心とした複数人のデザインによって作り上げられた151の多様性は、その後20年のポケモンデザイン史の縮図とも言える。

これはデザイナーが追加されても、新たな要素が増えても、試行錯誤や新旧のアイディア・絵柄が混在する状態は、どこまでも相似形だ。

しかし これが制作側がコントロールできた、最後の「ポケモンらしさである。
ここから先は、プレイヤーたちがどう感じたかに委ねられていく。
1996年2月27日 「赤・緑」発売。


次回、発売後以降へ続きます

5 件のコメント:

  1. 考察記事をいつも楽しく読ませていただいています。
    ドット絵から始まり、イラスト化やアニメ化する際に細部の設定が必要になった、という部分で思ったのはポケモンの質感・毛並みの表現でした。図鑑説明やアニメで描写はあったものの、私がポケモンに質感の概念をしっかり意識したのは、「ポッ拳」が初めてでした。それまで「肌触り」という感覚はありませんでした。ピカチュウやスイクンに体毛が生えているグラフィックはショッキングでしたが、生き物として見れば当然のことだと納得もしました。(スイクンのクリスタルの部分には毛がないことも含めて)
    映画「名探偵ピカチュウ」は現実の生き物として表現するなら、あれは最適解だと思います。
    古参寄りな私があの映画のポケモンに違和感を覚えたのは、キャラクターとしてデフォルメされた可愛さやかっこよさとはベクトルが違ったからではと思いました。

    また、「らしさ」という観点で五輪のマスコットを思い出しました。初出の情報源がわかりませんが、最終選考に残った3組6体は、ア→デジモン、イ→ポケモン、ウ→妖怪ウォッチっぽいとよく言われていました。
    https://twitter.com/GalileoGARI/status/938596628591656960(参考ツイート)
    私はこの情報を先に見てしまい、初見の感想ではありませんし、発表当時は「ポケモンと一緒にしてほしくない」と憤りもしましたが、冷静になって「~っぽい」について肯定よりのコメントをするなら、
    ア…デジモンというより近未来感が「デジタル」を連想+人型
    イ…生き物感+「タイプ」を連想する要素
    ウ…タヌキツネ感+和風
    のような要素を多くの人が感じた為だと思いました。(3つの案が並んでいる事によるキャラ連想の巻込み等の要因も考えられますが)
    すでに構想を練られているかもしれませんが、外部キャラクターがポケモンっぽいと言われる要因について考察すると面白いかもしれませんね。

    長文失礼しました。

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    1. >古参寄りな私があの映画のポケモンに違和感を覚えたのは、キャラクターとしてデフォルメされた可愛さやかっこよさとはベクトルが違ったからではと思いました。

      これは大きいですよね。
      仮に役者が「ゲームのようなデフォルメ」と同じぐらい記号的なお芝居をするもの、
      漫画やアニメ、舞台であれば、ポケモンGOのARのような質感のもので十分だったと思うのですが、

      細かなドラマやお芝居を『黒子』無しに伝えたい リアリティレベルの高いものを目指した場合、人の肌や髪の毛と同レベルの描写が必要になったということですね。

      やると決まってしまったからには…という状況の中、杉森さんをはじめ原作サイドと レターマン監督ら映画制作側が、よく意見を戦わせて、現時点では妥協ない一段上の表現に到達してくれたと思います。

      個々のポケモンアレンジに関しては調整難しそうで 止め絵で原作と並べるには向いていない という個人的評価はありますが、動きやストーリーの見せ方込みで 人との共存や生態をよく描けていたなと 楽しめました。
      ゲームと同じでプレイしたかどうか、映画を見たかどうかでデザインアレンジの評価に大きく差が出そうですね。当たり前の話ですが。

      マスコットのお話は見たことありませんでしたが、その3者が比較対象に挙げられてるということ含めて面白いですね。
      また別の機会に取り上げてみたいです

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  2. 「シンボリックでわかりやすいデザインを心がけました。」を「既にシンボリック、マスコット的なのだ。」と改ざんして解釈しておりますが
    ここでいう「マスコット的」の定義とは何ですか?
    また、最初からわかりやすいデザインであることと、元のツイートからの論点である(丸みを帯びた等の)主張に何の関連もないことは理解可能ですか?
    これを理解するためには「相対」と「絶対」の違いを理解できる必要がありますが。

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    1. コメントありがとうございます。返信おそくなってすいません。

      >元のツイートからの論点
      元のツイートとは全開の「マスコット感」で引用させて頂いたものでしょうか。
      あれがそもそも「マスコット」の定義なく持ち出されたキーワードで、"丸みを帯びた"の元の英語のツイートと何の関連もなかった という話ですね。同様に今回の記事においてもマスコットという言葉は何の意味も持っていないと思います。

      デティールが丸っぽいキャラクターデザインは今も昔も存在して
      複雑なキャラクターデザインはギャラドスからムゲンダイナまで存在していましたが
      英語の引用元はそれぞれ恣意的に比べた、好みの絵柄についての言及でした。

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はじめに

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